稲沢のむかしばなし 片目のへび(稲沢市矢合町)
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いまからおよそ800年ほど前のことです。鎌倉と京都のさむらいたちが切りあった「矢合のたたかい」の後のことです。
たたかいのとちゅうで、父とはぐれた若いおさむらいがいました。
おさむらいは、片目を切られ、血だらけになりながらも、父のことをしんぱいして、さがしに来ました。
これは、キズがふかく、父を見つけることができず、息を引き取った若いおさむらいが、白いへびになって父をさがすお話です。
どんよりとくもった朝でした。
三宅川をはさんで、鎌倉と京都のおさむらいが、たたかいをはじめました。村のひとたちは、たたかいの始まる前から、田や畑の仕事をやめ、家の戸をしめ、お寺に集っていました。
こわさにふるえながら、早くたたかいが終わるようにいのっていました。
たたかいは、明るいうちは弓矢のうちあい、夜には矢合の村の中で、はげしくきりあいとなりました。
村の人たちは、夜になっても家に帰れずふるえる声で「ナンマイダブツ、ナンマイダブツ」と、となえていました。
朝になり、物音ひとつしないので、村の人たちは、おそるおそるお寺の重い戸を開きました。もう、おさむらいたちはいないようすでした。
「もう、だれもいないようだぞ。家へ帰ってもだいじょうぶだぞ」とふきんを見に行ったひとりがいいました。
村の人たちは、お寺を出て家へと急ぎました。おさむらいたちは、よほど急いで立ちさったのか、切られたおさむらいたちは、あちらこちらによこたわったままでした。
村の人たちは、なくなったおさむらいのしたいをお寺に運び、手あつくほうむってあげました。
二度と村がたたかいの場にならないようにおまいりをしました。
数日後のこと。
カミはバラバラで、片目を切られ、血だらけのおさむらいが、寺をおとずれました。
父親をさがしにもどってきたのでした。
「せっしゃ、父上をさがしておる。みかけはしなんだか」
年や体つきをはなしながら、たずね歩きました。
寺のお坊さんが、ほおむったおさむらいのとくちょうを調べたがわかりません。
そのおさむらいは、おれいを言って、寺を出ました。そして、村人の家を一けん一けんたずねてまわりました。
やがて、力つきて、村のはずれの道で息たえてしまいました。
その日から、ちょうど一年目のことです。
ふしぎなことに、さむらいのしんだ場所あたりに片目のない白いへびがあらわれました。
村人たちは、「きっと、あの父親をさがしにきたおさむらいが生まれかわったにちがいない」と、そのへびを、見ていました。やはり、なにかをさがしているようすでした。
村の人たちは、そのあたりを「めくらつじ」とよびました。