稲沢のむかしばなし 麦つくりとバクチ(稲沢市井之口町)
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井之口町は、市の東南の方向にあり、大きな会社やショッピングセンター、それに住宅開発が、行われているところです。ここには東プールや武道館、それに消防署などがあります。
「ことしもまた、いねかりがたいへんじゃのう」
「このあいだの雨が、まだのこっているからなあ。ぐちゃぐちゃあで、なんともならんわい。」
明治のなかごろのこと、井之口町いまの東プールのあたりは、とちがひくく、雨がふるとすぐに水がたまってしまい、なん日も水がひかなかった。
そんなある日、村の年よりたちがあつまって、そうだんした。
「どうだろう。ひとつ川でもほって、この水を大助川へ、ながすようにしたら」
「そりゃあ、ええ考えじゃ。雨がふっても、水がたまらずにすむからのう」
「水がつかなかったら、麦をまくこともできるしなあ」
「麦がとれりゃあ、ちょっとはくらしも楽になるかも、しれねえ」
話がトントンびょうしまとまって、村中におふれをだした。
ところが、おもわぬところから、反対の声が出てきた。
それはわかものからだった。
そのわけは、今までわかものたちは、米づくりをしない冬のあいだ、あそんでくらしていた。田畑へしごとに行くふりをして、バクチをやっていた。だから、川をつくられると、冬に麦をつくらにゃあいかんし、バクチもできんようになってしまうからだった。
さっそくみんなは、あつまって話をした。
「どうしたらええもんかいなあ―。友蔵さん。」
わかもののかしらである友蔵さんは、しばらく考えていった。
「みんな聞いてくれ。今、わしらの村は米づくりだけにたよっている。しかし、水はけがわるく、あまり米がとれないんだ。こんど川をつくれば、水はけがよくなりしゅうかくもいちだんと、多くなるはずだ。それに麦もつくれるようになるし、ねがってもないことだ。みんなの気もちも、わからんではないが、もっとはたらく方に、力を入れてはどうだろう。」
わかものの中には、反対するものもいたが、友蔵さんはみんなをせっとくした。
秋のとり入れがおわってから、川のそうじがはじまり、やがてかんせいした。その後このあたりは、二毛作がおこなわれるようになり、たくさんの米や麦がとれるようになった。
反対したわかものも、あせをながして、はたらくよろこびをしり、それいごは、バクチをしなくなったということです。