稲沢のむかしばなし 増田長盛(稲沢市増田町)
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稲沢市の南東部に位置する増田町。ここに生まれた歴史上の人物「増田長盛」というえらいお侍さんのお話です。
「増田長盛」という名前を君は知っているかな。毎年秋になると名古屋まつりに行われる郷土英傑行列の中に入るひとりなんですよ。
徳川家康や織田信長や豊臣秀吉らがきれいな服で行列するじゃろう。なかでも豊臣秀吉によくつかえたお侍さんなんじゃよ。
おもに、人々のくらし向きをよくするために一生けんめい働いた人なんじゃ。中でも、今でいう税金をみんなが平等におさめるようにするためのきまり(検地)を作ったことでも有名じゃ。
昔は、税金のことを年貢といって、お百姓さんが汗水たらして作ったお米をはらっておってなぁ。このお米の量についてある基準をつくって、みんなが平等に出せるようにいろいろとくふうしたんじゃよ。
またある時、豊臣秀吉は朝鮮へいくさをしかけた。そのとき、トラ退治で有名な「加藤清正」を始め、強いお侍さんを次々と送りこんだ。一方、増田長盛は、戦うための弾薬や食べたものを、命がけで運んだのじゃぞ。
その後、朝鮮とのなかなおりができ、いったん名古屋へ帰ってきたのじゃが、今度は、中国への使者として、大切な仕事をしたのじゃ。
そして、このごほうびとして大和郡山城に20万石をいただき、立派な大名になったということじゃ。
この増田長盛の石碑は、増田町の南端、旧八神街道の北側にある八幡社の境内に立てられてあります。
興味がありましたら、一度見に行ってくださいね。