稲沢のむかしばなし 松なみ木(稲沢市長束町)
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いまから400年ほど前。稲沢を美濃街道が通っていました。この街道は、東海道と中仙道をむすぶ、たいせつな道でした。
この街道には、たくさんのマツがうえられて、りっぱはマツなみ木になっていました。
20年前におきた伊勢湾台風のときまでは、まだ、このマツなみ木は、長束という町にのこっていたそうです。
江戸時代のことです。
強い力をもっていた殿様が、尾張の国をおさめていました。
あるとき、殿様が家来たちに、世の中のことについてたずねました。
「どのようにしたら、いまのまま平和であらそいのない、しあわせな国でいられるかのう」と。
ほとんどの家来たちは、こう答えました。
「なあに、いくさにそなえ、へいたいとぐんびをたくさんととのえて、だれにもまけない強い力をもっていれば、平和でしあわせな国でいられますよ」
ところが、家来の中には、これにはんたいする生きもののすきな人が、ただ一人いました。
その人は、近藤清之進と呼ばれる植木の大すきな人でした。
清之進は、殿様にこう答えました。
「トノは、だれにもまけない力をもってみえます。いま、あらそいのない国でいられるのは、人々がトノの力をおそれてい、したがっているからでございます。このような世の中は、長くはつづきません。戦国時代におこった力どうしのたたかいが、よくものがたっているではありませんか」
殿様は、清之進のいうことにうなずかれました。
すかさず、清之進はいいました。
「あらそいのない平和な国を長くつづけるには、人々にすかれる殿様になられることが、一番たいせつでございます」
「それには、どのようにするとよいものか、そちの考えをもうしてみなさい」
殿様は、清之進の考えを聞き入れようとしました。清之進は、こう答えました。「美濃街道は、この国のたくさんの人々がつかう、たいせつな道でございます。そこで、この街道に、りっぱなマツをうえてマツなみ木をつくり、道をきちんと、ととのえてはいかがでしょう。そうすれば、世の中に活気が出て、人々はよろこぶことでしょう」
殿様は、清之進の考えにかんしんし、さっそく美濃街道にたくさんのマツをうえ、道をきちんと、ととのえました。
その後、この国は、活気のあるゆたかな国になり、人々からあいされる平和な国が長く長くつづきました。
この美濃街道とマツなみ木は、とても人々はたいせつにしました。
しかし、20年前におきた伊勢湾台風のときに、このあたりは、大きなひがいをうけました。そして、人々からたいせつにされたマツなみ木も、あまりの風の強さでたおれてしまいました。こうして、マツなみ木は、すがたをけしていきました。