稲沢のむかしばなし ひびけ日下部太鼓(稲沢市日下部町)
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日下部町は、こくてつ清洲駅の西にある町です。日下部だいこは、神事やほうさくをいわう秋まつりなどに、よくつかわれました。
しょうわ52年11月、市の無形文化財と、なっています。
今から170年ほど前のこと。日下部村に「銀」と「松」という、なかのよいせいねんがすんでいました。
あるとき、銀が松にいいました。
「なあ松、となりの村ではおまつりに、ふえやたいこをつかっとるそうだ。おらたちの村でも、ふえやたいこをおしえてくれる先生がいたらなあー」
「でもなあ、1きょくおぼえるのに、二年ぐらいかかるちゅうことらしい」
「しかしよう松、おらたちわかいものでふえやたいこで、おもいっきりまつりがやりてえなあー」
銀はうでをくんで、しばらく考えていました。
とつぜん松が「テンテン・テンツクテン」と、ちかくにあったぼうで、つくえをたたき、おおごえでさけびました。
「よし、やろう。おらたちでふえやたいこをならおう」と。
それから二人は、村から10キロほどはなれた、七宝町沖の島まで、ならいに出かけました。
それも、昼は田やはたけのしごとをし、夜はつかれた体にむちうっての毎日でした。
けいこはぜんぶ、そのばでおぼえなければなりません。すこしでも音がちがうと、なんどでもやりなおし。
だから、二人が帰るのは、いつも夜の11時すぎでした。でも、二人は、はをくいしばってがんばりました。
二人は、まわりがおどろくほどじょうたつし、ならうきょくも、だんだんむずかしくなってきました。でも、先生にとくべつあつかいをしてもらおうとは、おもいませんでした。けいこがおわる時間になると、
「家がとおいから、しつれいします」
といって、一度帰ったふりをして、くらやみのこかげでけいこし、ぜんぶおぼえてから帰りました。
だから次の日には、どんなむずかしいきょくでも、先生の前で、はっぴょうすることができました。
こうして銀と松は、おぼえたきょくをほかのわかものたちにも、つたえました。そして、神事やおまつりのときに、このうでまえをひろうしたということです。